日本経済新聞 連載『こころの玉手箱』

2017年6月5日

アメリカン・トレイン ―― 燃えた1万2000キロの大イベント

 国鉄の分割民営化が1987年4月。この時に、NKBという会社で交通広告事業を手掛けていたご縁から、記念企画を提案した。星条旗のデザインを施したパビリオン仕立ての列車「アメリカン・トレイン」を走らせ、主要駅に停車して様々なイベントを開催するものだ。戦後の発展に対する米国への感謝が国民にあり、一方で日米の貿易摩擦が表面化し始めた頃で、鉄道と日米関係を結びつけて生まれたアイデアだった。

 当時のJR東日本の松田昌士常務が「面白そうだ」と言ってくれて、山下勇会長、住田正二社長、さらに会長と懇意のマンスフィールド米国大使も賛同。国鉄改革を進めた中曽根康弘首相を含め政府の後押しもあり弾みがついた。公式ポスターは米国で活躍する山形博導氏以外にないとロスまで飛んで口説き落とした。

 88年、米国独立記念日の7月4日、東京駅に60分間停車し、中曽根元首相、鈴木俊一都知事、田村元通産相、石原慎太郎運輸相、木下秀彰東京駅長が列席するセレモニーの後、全国50駅を1年かけてまわる日本縦断の旅はスタート。最初の停車は原宿駅の宮廷ホームで、全米3300大学から選ばれた15人のミス・アメリカン・トレインも参加したイベントは、多くの若者でにぎわった。

 線路も駅もない沖縄もルートに組み込んだ。使うのは米軍基地の那覇軍港。誰もが「軍港は不可能」と言ったが、無理と言われると余計に燃える性格。がむしゃらに走り回るうちに、当時の外務省北米局の岡本行夫課長から、全国革新市長会の会長を務める藤沢市の葉山峻市長へ話が伝わり、那覇市の親泊康晴市長につながった。難関と覚悟していた市長は、「やがて返してもらうのだから、一度使ってみるのもいいかな」と承諾してくれた。

 県知事、基地の将軍、地元マスコミも賛同するなか、89年1月、特別列車12車両を載せた日之出汽船のコンテナ船が那覇軍港に接岸した。超党派で実現したイベントは、1日5万人が押し寄せ大成功。米軍の新聞は「グラスルーツの素晴らしいイベントだ」と世界へ向けて配信した。

 この12300キロに及ぶイベントをやり終え、「世界」を見据えて仕事ができるようになった。会議室に掛かるポスターの原画を見ると、当時の情熱、出会った人たちの顔を思い出す。